実践、不老健康長寿の秘訣を探れ!

敵(老化・病気)を知り、己(身体の成立ち・生きる仕組み)を知れば百戦危うからず

現代西洋医学の起源


現代科学のパラダイムの起源から続く
方法序説』の中で「物心二元論」を唱えたデカルト自身は、心身論に関してはこの二分法をとらず、心と身体は不可分に結ぴついて関係し合っている。心の作用は脳で身体と結びつき、動物精気が血管や神経を流れて内臓などの器官に影響を及ぽす。特に、喜び・悲しみ・愛・恐れといった情念(感情)のはたらきは、心臓や胃腸、血液などのはたらきと深い関係があると考えていました。しかし、デカルトは、動物精気とは一体精神作用なのか、それとも物質作用なのかという疑問を解決できませんでした。そこで、心身結合は学問的根拠のあいまいな日常的経験の現象であり、これは道徳的な問題に属するという考え方に立ち、学問的研究の方法としては厳密な知的二分法の立場をとりました。

このように、精神・物質の二分法である『物心二元論』は心身関係の考察から生れたものではなく、当時の物理学や天文学の発達に基づいて生れてきた考え方です。たとえば、目の前の岩とか宇宙で観察される天体といった物理的物体は、私たちの心のはたらきとは関係なく客観的に存在し運動している。自然科学は、そういう物体あるいは物質の性質や状態について研究する学間であるから、これと無関係な心については何も考える必要はない。これが知的二分法の考え方の出発点だったのです。

ところが、デカルトは、人体を当時最も精密な機械であった時計にたとえ、時計が部品の組合せからできているように、人体も、さまざまの内臓や手足、血管、神経といった部分の集合体であるとします。当時、ハーヴィが血液循環の現象を発見すると、デカルトは早速これをとり入れて、心臓はポンプのようなものだと説明しました。要するに彼は、心と身体の相関関係を常識の立場では認めながら、科学的説明としては人体を物質の集合体とみる機械的な見方に近づいていったのです。
ここにデカルトの理論的矛盾があり、この矛盾が科学的手法を巧みに取り入れて発展してきた今日の西洋医学の限界を生む種となったのです。

デカルトの『物心二元論』は、その後の科学哲学の礎となり、機械論的世界観は物質の世界を鮮やかに説明していきます。やがて還元主義の手法と機械論的な考えが、身体機能ばかりでなく心の領域にまで拡大され、心のはたらきは脳における神経活動、あるいは神経伝達物質による生化学的作用を意味するという風に説明され、精神の働きも機械の一種として説明できると考えられるようになりました。

このような考え方から、やがて西洋医学パラダイムともいうべき人間機械論とか唯物論の思想が生れてきます。生物学や医学が近代的な実験観察に基づく科学になってくるのは、ずっと遅く十八〜十九世紀のことですが、それらは物理学と天文学の革命から起った物理的自然科学の方法をモデルにして発展してきたために、人体の構造や性質について考える場合にも、それを物質のメカニズムとして説明できるという考え方に立っていったのです。

デカルト以前の中世ヨーロッパの医療行為は、イエス・キリストが施した奇跡的治癒の名残からか、西洋諸国においては修道院などで行われており、多分に宗教的で迷信的なものでした。しかし、デカルトの『物心二元論』とともに、医療の分野においても「機械論的世界観」と「要素還元主義」の考え方に従い、人体を機械的に捉え、各生理機能をになう臓器ごとに治療法を探求するという今日の解剖学や病理学の基礎が築かれ、西洋医学は形作られていきます。

十九世紀後半に生れたパスツール、コッホの細菌学やウィルヒョーの細胞病理学によって、このような考え方の基本方向が定まり、二十世紀初めごろには、心の作用をあつかう心理学や心脳関係の分野、さらには生命現象にまで、すべて物質の作用に還元して説明する還元主義の考え方が及んできたのです。

二十世紀半ばには、アレクサンダー・フレミングらによるペニシリンの発明によって感染症に対する抗生物質の開発のきっかけとなり、それ以後の薬学の発展につながっていきます。

その一方で、第一次世界大戦以後には、精神的ストレスが原因となって病を引き起こすという考え方が西洋医学でも徐々に取り入れられ、精神医学や心身医学の研究がはじまります。しかし、心理状態が身体的な病の原因となる“心身症”などに対して心のケアや心理カウンセリングによる治療法を施す心療内科などが導入され始めたのは、二十世紀後半の至極最近になってからのことです。

今日に至ってようやく西洋医学人間機械論的なパラダイムからの転換が求められるようになりましたが、まだ心身医学の分野での確かな実績は築かれてはおらず、特定の分野においては、化学物質である医薬品の開発、あるいは遺伝子治療や万能細胞などの人間機械論的な新たな治療法の研究も盛んに行われています。